「幸せの基準」は何か?

公開日 2013年11月01日 00時00分

最終更新日 2013年11月01日 00時00分

「幸せの基準」は何か?

長谷川

こんにちは。茨城大学の長谷川でございます。

私は今年の4月、61歳になりました。還暦を迎えて店じまいをしようかと思っているんです。大分頭も鈍くなってきたし、研究をそろそろやめようと思っていたんです。ところが、東日本大震災がありまして気分を新たにさせられました。

講師の長谷川氏

私は北海道の函館出身なんですけど、父も母も東北出身でして、私のルーツは東北なんです。その東北があの震災にあったのを見て、ものすごい衝撃を受けました。実はここだけの話ですけど、どうもあの時、神経がまいって3キログラムもやせたんです。その後また復帰しましたけど… それだけショックが大きかったです。

どういうことだったかというと、今日来られている区長さんや自治会長さんも含めて私たちの年代は、戦後の貧しさの中で立ち上がりました。だから、子や孫のことを思って、また、日本を豊かにしようとして、しゃにむに働いてきた世代だと思います。

私を含めてこの世代は、その「幸せの基準」をきっと「お金」と多くの「物」に置いたのだと思います。思い出してみてください。私たちがまだ子どもだった頃、立ったままで洗い物をするキッチンシンクはほとんどありませんでした。それがあっという間に、この半世紀、日本は変わってきたんです。

そのために私たちは働いてきました。頑張ってやってきました。ところが、頑張って豊かにしてきたはずのものが、一瞬の波でがれきになったんです。あのがれきの山が、私たちが幸せになれると信じて積み重ねてきた物だったんだということを思ったんです。

でも、がれきの向こうには、なくならなかった物があったんだと、そしてそれが私の行動に現れたんだと自分で気づきました。

人は独りでは生きられない

長谷川

それが私の行動に現れました。それは携帯電話を手にして誰かに連絡しようとしたんです。ちなみに、私は61歳でまだ独身です。独り身なんですよ…

それでも誰かに連絡しようとしていた。ということは、人は独りじゃ生きてないということです。幸せの基準だったお金と物の向こうに、見えにくくはなったけど作ってきたものがあったんじゃないかと思います。

考えてみてください。皆さんは幸せを求めてある時期、龍ケ崎にやってきたんですよ。幸せを求めて龍ケ崎に家を建てたんです。だけどその幸せをどうやって作るかという時に、お金と物が幸せの基準ではなかったことに気づくわけです。

この時代を生きていて、ちょっと足を止めて、自分たちの人生を振り返りながら、どうやって龍ケ崎で幸せを作れるかってことを考えてみる機会にしたらいいんじゃないかと思います。

3.11、最初に動いたのは誰か?

長谷川

あの震災があった時、私はもう1つ気付きました。私は地域福祉に関しても外岡先生と研究していますので、民生委員の活動とかいろいろ知っていますが、あの地震があった時、最初に動いたのは、民生委員じゃなかったんです。間違いなく隣近所の人だったんです。

私は、あの時、外岡先生のお宅にいました。その直後、外岡先生が何をしたかっていうと、隣近所を回り出して一人暮らしのお年寄りのお宅の玄関を「ドンドン!ドンドン!」と叩きました。やっとおばあちゃんが出てきたら、「今日の夜は炊き出しやるから。とにかくにぎりめしを作って持って来るから」そうやって全部のお宅を回ったんです。とても迫力がありました。

4つの縁(えにし))

長谷川

私たち人間は、独りでは生きられない動物です。そう言う私も妻がいなくて独りですけど… 私たち人間は独りじゃ生きられないからどうしたかっていうと、幸せになるためいろいろなネットワークを作ったんです。そのネットワークを「4つの縁(えにし)」と表現しています。

4つの縁(えにし)1番目が「血縁」です。この血縁という形は地球上で生きのびるためにトラやライオンも採用したんです。私たちの世代がこの血縁の仕組みを大幅に変えました。以前は3世代や4世代で暮らしている家族が主流でしたが、あっという間に核家族が多くなりました。核家族というのは、最後に2人になってそして1人になって死を迎えます。そのような血縁のシステムを私たちの世代は選んだのです。

2番目が「地縁」です。この地縁だって従来はいっぱいあったんです。お互いに共同でやることがありました。しかし、つながりが徐々に薄れてきました。ちょっと前まで日本人がとってきた地縁の形というのは、「隣の家のどの部屋の、どのたんすの何番目の引き出しを開けると、貯金通帳が入っている」ってことまで分かるような農村社会だったんです。この地縁では「これは皆のことだから、皆で手分けしてやろう」と言えました。この「皆のこと」、難しく言うと「公共性」ですが、これが徐々に分解されていったんです。今、私たちは新しい課題を持つことになりました。もう一度皆のことを再発見することです。皆の幸せは市民全員で作っていかなきゃ駄目なんです。そのために新しいやり方を考えていかなくてはなりません。

3番目が友達、「友縁」です。同じ趣味だとかPTAだとかの友達がいっぱいできます。友達は作りやすいんです。友達作りは簡単だけど、残念なことに友縁は生活の最も大事な事には関わりません。生活の大事な事に関わるのは地縁なんです。

最後が仕事、「職縁」です。ここ龍ケ崎から東京まで働きにいっている人は多いと思います。こういう生活が終わって龍ケ崎に戻って来た時、「市役所のやつらはなんて甘いんだ」と思いませんでしたか? でも、行政は企業と原理が違うんです。即断即決していかなきゃならない民間の企業と、議論をしてなるべく長い時間かけるという特徴の市役所では同じ仕事はできないんです。

でも、東京の民間企業のやり方が良いかというとそうでもないんです。会社は上下関係ですが、地域は上下関係では動きませんからね。まして「俺は現役時代、東京の一流会社で部長をやってたんだ」と天狗になったらおしまいです。そういう人いませんか? それは絶対駄目なんです。幸せを作ろうとする時に冷や水をかけるようなものですから…

そうすると、この4つの縁を、どうやって作るのかが、大きなテーマになっているんです。この4つの幸せ基準を私たちはいっぱい広げていきたい。でも、この4つの真ん中にできた空白が大きくなると「無縁社会」が現れてきます。私たちの幸せは、市役所と連携して自分たちの自治力、地域力で作っていくんです。

戦後の民主化と都市化の中で

長谷川

講師の長谷川氏「4つの縁」という幸せを作る縁が、戦後大きく変わりました。1945年、私たちは戦争に負けました。それでもやはり日本人は幸せになりたかったんです。

だから、この4つの縁っていう仕組みを変えて行くことになりました。これを私たちは何ていう名前で変えたかというと「民主化」って言われたんです。ここでは詳細には触れませんが、民主化っていうのが入ってきて、それまであった仕組みを変えて、幸せになって行こうと決めたんです。財閥解体とかいろいろあって、日本人はそれを受け止めてきたんです。貧しさの中からスタートしました。

1950年に朝鮮戦争が起こります。そして、池田勇人さんって人が出てきて渋い声で「貧乏人は麦を食え」ってさ。うちはパンの耳を食べてたけど…

隣の戦争で儲かったお金を太平洋ベルト地帯へ入れたんです。公共投資です。1955年、集団就職列車が岩手の盛岡から初めて上野に出てきました。「金の卵」って言われて出てきたんです。それから20年くらいずっとこの太平洋ベルト地帯に向かって人が流れました。「都市化の波」が来たんです。これが私たちが幸せを求めていった2番目の柱です。その中で家族は核家族化していったし、過疎と過密が出てきました。

幸せづくりはどこでする?

長谷川

その時に日本は変わっていくんですよ。私たちは幸せを求めて都市的生活に入って行ったんです。あこがれの生活の代表的な言葉が「団地」です。団地と言うと凄いイメージだった。どうしてかというと、団地には個室があるんです。プライバシーが守られました。おしゅうとさんと離れて暮らせるんです。しかも、「3LDK」のように「K」とかつくから、何だかすごくモダンになったという気分になれるの。これは幸せイメージを売った住宅公団の戦略だったんです。

今度は自分の家を持ち始めるために、首都圏に集まった人たちが移動し始めました。東京に人が集まってから、神奈川県、埼玉県の順で、次に千葉県、そして茨城県へと住宅団地はできていったんです。

ちょうど皆さんは、この頃龍ケ崎に来たんです。龍ケ崎って訳の分からない土地と思ったけど案外東京から近いの。そう思いませんでしたか? 利根川を渡ると全然違う世界だと思ったけど、すぐ近くなんですね。皆さんはここで自分たちの幸せを作ろうと決めたんです。

少子高齢化という「第三の波」

長谷川

核家族を選んだ私たちの子どもは学力をつけるという課題に向かいました。そして子どもたちは出て行きます。そしてあっという間に30年、第3の波が来ました。

皆、年を取ったんです。つまり幸せを求めて来た人たちが一斉に年を取りました。少子高齢化の波を受けたんです。

私たちは少子高齢化の波をどう対応できるのか? 今度の少子高齢化という波をどうやって幸せの波に受け止められるか? これ大変です。今までの年寄りのイメージじゃ絶対手に負えません。これからは年寄りってイメージで動いては駄目ですよ。

少子高齢化という課題をどうやって愉快に楽しく、そしてみんなが幸せになれるように施策展開できるかが中山市長の両肩に課せられた大きな課題なんです。(続く)

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