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来迎院

更新日:2018年3月1日

来迎院=らいごういん(馴馬町)


多宝塔の解説板には「この塔は供養塔とも呼ばれるが、正しくは多宝塔と称し、大日如来の本体としている。
(略)当地領主土岐治英は、この境内の東方にある県指定文化財の沼田城(1308年)跡に眠る、南朝の征夷大将軍春日顕国以下、戦に敗れた幾多の戦死の霊魂の冥福供養のため、さらには万民安泰のため、後に奈良天皇の御祭所に奉し、如来の加護を祈って、弘治2年(1556年)、この塔を建立したもので、当山本寺の逢善寺第15代定珍和尚によって開基された」とあります。
建立の時期は、疫病が流行して村民が苦しんでいる時代だったとも言われています。
しかし、塔の最上部にある宝珠には「弘治2年に城主・土岐治英がこの塔を修築し、そのとき、治英の一族・家臣や僧、番匠、火事などの職人たちが多数参加した」ことが刻まれています。
このことから、建立はもっとさかのぼると思われます。
仏事由緒の資料では「この建築物は、仏教の神髄経たる妙法蓮華教の解説に準じて造営されたもので、すなわち建物自体が他方如来様の尊像である。中心に釈迦如来像の尊像が納められてあり、この大世界の本地仏と垂跡仏とが一緒に祀られている。したがって、この建物の全貌を礼拝すれば、功徳莫大にしていかなる願いも叶う」としています。
一般的には「多宝塔は、法華教見宝塔品の説によって、釈迦、多宝二仏が並座する塔の意で、二重の宝塔の形式を言う」とされています。
この塔は形がたいへん優美で、この種の多宝塔は当地と京都北部の丹後国と、全国に2つしかないといわれています。
室町後期の建築物と思われ、関東以北唯一の古塔です。
この地方ではほとんど遺跡を見ない多宝塔方式で、形式上から、また建立年代の古さからも、この地方においてはきわめて貴重な存在です。
塔そのものは三間多宝塔であり、あまり大きくありません。
平成14年には全面改築され、創建当時の姿が再現されました。
多宝塔は、信仰の役割はもちろん、当時この地方は若柴岡見領の隣、土岐領の西端にあたっていたことから、領域の目印の役割も果たしていたともいわれています。

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