龍ケ崎は伊達藩でした

公開日 2013年11月01日 00時00分

最終更新日 2016年08月23日 09時21分

豆知識2 龍ケ崎は、伊達藩だった

 龍ケ崎は伊達藩(伊達政宗の領地)でした。

 伊達藩は天正19年(1591)、豊臣秀吉の領地替えによって新たに仙台の地を与えられた伊達政宗を初代藩主とする仙台藩の別称です。

 政宗は、慶長11年(1606)に徳川家康から常陸河内郡と信太郡26カ村(1万石余り)を与えられています。現在の龍ケ崎市域の一部は仙台藩領でした。政宗は、龍ケ崎村に陣屋を構えて代官を置き、常陸国における仙台領支配の中心地としたため龍ケ崎は繁栄しました。街道の出入り口には「仙臺領」と刻んだ石柱を建て、治安と防衛のために番屋をおいたといわれています。

 シダレザクラで有名な般若院は、寛永5年(1628)に伊達家代々の位牌所の御朱印として3石を受けています。

 市役所近くにある愛宕神社は、寛永18年(1641)に時の領主・伊達陸奥守忠宗(政宗の子)の創建です。伊達家は代々愛宕神社を崇拝し、仙台には京都から勧請した愛宕社が祀られています。幕末に北海道に移住した仙台領民は数多くいますが、いずれの村にも必ず愛宕神社があるそうです。龍ケ崎に愛宕神社を祀ったのも同じで、龍ケ崎領民を火災から守り、さらに村人の行楽地としたのでしょう。

 歴史民俗資料館には、「仙臺領」の石柱など、仙台藩をしのばせる物が展示されています。また仙台市のホームページでは、伊達家ゆかりの地域が紹介されており、龍ケ崎市についても掲載されています。

 龍ケ崎から伊達家に入った女性もいます。2代藩主・忠宗(政宗の子)の側室となった、たけという女性です。竜ケ崎陣屋の大番士だった山戸土佐の娘で、4歳で親を失ったたけは、政宗の正室・愛姫に見込まれて引き取られることになりました。当時は桜田門の伊達家上屋敷に住んでおり、姫様同様の処遇で礼儀や教育を受けたようです。
たけは忠宗の側室となって宗房・宗章の2子をもうけ(忠宗にとっては八男・九男。七男・八男の説も)、「小笹の方」と呼ばれるようになります。のちに宗房の子・吉村が本家の世子となって5代藩主になるので、たけは「側室」から「藩主の祖母」となるわけです。
 孫の吉村は多芸多才・勇武文才の名君と言われ、享保3年(1718)には龍ケ崎を訪れています。
 小笹の方は忠宗が他界すると落飾し慶雲院となって青葉城の大奥を去ります。46歳のときでした。慶雲院はその後、気心の知れた人たちに囲まれて、当時としては珍しく94歳という長寿の人生を送りました。

 慶雲院の子・宗房は、慶雲寺を建立して生母の菩提を弔いました。現在の宮城県黒川郡大和町宮床にあります。その後、吉村が両親と祖母・慶雲院の霊廟を建てて、寺号を大義山覚照寺と改称、以後は宮床伊達氏の菩提寺となりました。慶雲院の御霊屋(おたまや)には、吉村の筆になる「慶雲院」の額が掲げられ、優しい微笑みを浮かべた慶雲院像が静座しています。

 

 

 

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