医王院

公開日 2015年09月03日 00時00分

最終更新日 2016年08月09日 15時25分

医王院=いおういん(砂町)

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砂町にある曹洞宗玉光山医王院は、慶長3年(1558)の創建とされ、横町にある大統寺第2世の月山梵朔大和尚が開山しました。
明治37年に大統寺第23世月山正光大和尚が住職となり、独立した寺になりました。

医王院の本尊は薬師如来で、龍ケ崎城主・土岐胤倫が創建した十二薬師のひとつです。
木彫りの立像で、とても端麗な仏像です。
この薬師如来は、33年ごとのご開帳でなかなか拝むことができませんが、慈悲深い仏様として昔から信仰されており、近隣のみならず遠く江戸までその名を知られていました。

本堂は江戸時代初期の建築で、明治16年の龍ケ崎大火でも奇跡的の消失を免れています。
その後何度も補修がなされ、創建当時の様式をそのままに残しています。

境内には、龍ケ崎が輩出した俳人・杉野翠兄(大統寺に眠る)が、文化10年(1813)に師匠の雪中庵蓼太の17回忌を弔って建てた「蓼太句碑」があり、表面に「たましひの入れものひとつ種ふくべ」と蓼太の句が刻まれています。
雪中庵は芭蕉門十哲のひとり服部嵐雪(一世雪中庵)の流れを汲む俳人で、雪中庵三世を称し、江戸中期の俳壇で活躍した宗匠です。
著書に『筑波紀行』『蓼太句集』『発句小鑑』などがあります。
龍ケ崎を訪れた蓼太は数日間滞在して探題を催し、頼政塚や奈戸岡三本松などの名所旧蹟の句を残しました。
『筑波紀行』には翠兄と同行の句があります。

江戸中期・天明元年(1781)の蓼太の龍ケ崎訪問をはじめ、寛政10年(1798)には小林一茶も当地を訪れるなど、龍ケ崎では俳諧を中心とした文芸が盛んでした。

また、嘉永5年(1852)に内陣や天井部などに修繕を加えていますが、その際に高欄の擬宝珠が新調されました。
この擬宝珠の費用を負担したのが河原崎権之助と若(大)太夫長十郎であると印刻されていますが、若太夫長十郎というのは、のちの九代目市川団十郎のことです。
若太夫の養母が龍ケ崎出身のため、その縁で寄贈されたものと考えられます。

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医王院HP:http://www.iouin.jp/index.html

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