こども達へのメッセージ(中山市長)

公開日 2014年05月22日 09時38分

最終更新日 2014年05月30日 10時39分

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自分の仕事を選ぶことは大切なことです。
あせらず、なやんで、そして、勇気をもって一歩をふみ出してください。
 

10さいのころ何になりたかったですか?

市長2そのころは「大工さんになりたい」と言っていました。
近所の建ちく中の家を見るのが大好きでした。
大工さんがどうやって家を建てるのか?どんな道具を使っているのか?ということにとてもきょう味があって、こっそり、げん場に入り込んで大工さんにおこられたり、いろいろな思い出があります。
男の子だからというわけでもないのでしょうけど、心の中にあるものを実さいに作ってみるというような、何かつくるということが好きだったんだと思います。
プラモデルにも熱中していました。
車りょうや飛行機とか船とか、そういったものを作る、組み立てる、というのが好きでした。

学生のころどんな勉強していましたか?何が好きでしたか?

法学部に進みましたが、父やそふがせい治家だったことは影響してると思います。
学生時代は、せい治家になるかどうか、父や家族の事や、おうえんしてくれる人など周りの期待がある反面、自分自身のせいかくが、人より前に出るタイプではなかったので、相当なやんだ時期でもあります。
実は学生時代、アルバイトにはせい力をかたむけていました。ホテルのオープンスタッフをやっていたんです。
数年間、お客様相手の仕事をやらせていただいて、「社員にならないか」と言われたこともあり、そのまましゅうしょくしていたら、と今でも考えることがあります。

しゅうしょく活動の様子を教えてください。

しゅうしょくについては、父親のえいきょうが大きいことは大きかったと思います。
父のせ中を見ながらせい治を学んでいきましたし、だんだんと自分の歩むべき道が見えてきたというか、自分にも自信がついてきたのか、強くせい治をやろうと決意しました。
市長4せい治家のしゅうしょく活動は、ずばり「選挙」ですので、さい用試験を受験するようなしゅうしょく活動とはひかくすることはできないかもしれません。
しかし、一歩一歩夢に向かって進むという点では共通だと思います。
わたしの父は、先頭で民しゅうをぐいぐい引っぱっていくようなせい治家タイプとは、正反対にあるようなせい治家でした。
民意と共にあり、人の輪に入って話を聞きながら目指す方向にみちびいていくタイプでした。
そんな父のせ中を見ながら、自分自身どのようなせい治家であるべきかを、時間をかけて学んでいったような気がします。
大学卒業後の最初のしゅうしょくは、国会議員だった父の国会公設秘書(こっかいこうせつひしょ)(注1)でした。そんな中で他の国会議員をはじめ、地方せい治のせい治家のみなさんや、国や地方自治体の官りょうのみなさんなど、いろいろな方との話しをする機会をいただきました。また父の代わりに会合などに代理出席したり、せい府や会派(かいは)の勉強会などでも勉強する機会をいただくなど、いろいろな体験をさせてもらいました。
注1 国会公設秘書(こっかいこうせつひしょ)  お給料が国から支払われる国会議員の秘書

龍ケ崎市長になろうと決めた理由を教えてください。

せい治家になろうと決めて、父が引退(いんたい)(注2)した時と、その次の国せい選挙で二度落選しています。
これはわたしにとっては大きな挫折(ざせつ)(注3)でした。  
しかし自分の持てる力を社会のためにつくしたいという思いには、中央、地方というこだわりはなく、地方の時代と言われる中で、住民により近い地方自治で力をつくしたいという思いが強くなっていました。
そんな時期に、茨城(いばらき)県議会議員選挙にちょう戦して、県議会議員として地方自治をけい験することができたことは、わたしにとって大切なけい験となりました。
しかし、実さいに国会議員のひ書、県議会議員をけい験する中で、つねにわたしの中に一つの想いがありました。
それは本当に住民のことを考えて、地いきのために働いているのは市町村であり、どれだけ国や県はその地いきの本当の姿を理かいし、考えてくれているのかということです。そんな想いの中で、議員の役わりは大切ながらも、執行権(しっこうけん)をもって愛するふるさと龍ケ崎のために力をつくしたいという願いが大きくふくらんでいました。
その県議会議員のにん期中ではありましたが、龍ケ崎市の市長選がありました。ちょうど長女が1さいのころです。
せい治家として働くことができる、いくつかの大きな要その一つに“タイミング”があります。
このタイミングは、しゅうしょくにおいても大きなものだと考えます。
わたしにとってこの市長選は、人生を変える大きなタイミングでした。ちょうど子育て真っ最中のタイミングでもあり、子どもたちに託(たく)せる(注4)“龍ケ崎市”をつくりたい、せい治家としてのせきにんをふるさとのために果たしていきたいという目標に一歩ふみ出すことができました。
その思いもあり、最初の市長選挙から「子育て日本一」というスローガンをかかげています。
注2 引退(いんたい) 現役の立場を離れ、その活動を行わないこと
注3 挫折(ざせつ) 仕事や計画などが中途で失敗しだめになること。また、そのために意欲・気力をなくすこと。
注4 託(たく)す 自分がなすべきことを他人に頼むこと。まかせること。

 

龍ケ崎市役所の仕事で一番思い出に残っている仕事は何ですか?

マニフェスト(選挙のときに約束したせいさく)以外の取り組みですが、強く印象に残る事業があります。
それは龍ケ崎市内19の小中学校、その全てのふつう教室にエアコンをせっ置したことです。
わたしの市長としての最初の年は、記録的な猛暑(もうしょ)(注5)の年でした。
この問題意しきを強める最初のきっかけは、その年の夏、あるイベントで小学校高学年と思しき男の子がわたしの前にトコトコとやって来て、「市長さんですか?」と聞かれた時でした。「そうです」と答えると、その小学生がいきなり「教室にエアコンを入れてください」とうったえたのです。
次の年はしんさいの年で、原発事こによる節電のムードが高まっていたにもかかわらず、今度はほご者から「放しゃ線が心配でまども開けられない、エアコン何とかならないのか」との声を数多くいただきました。3年目には、とうとう教室で一番あせをかいている教しょく員から、悲鳴にも近い声がとどきました。
ちょうど、国が政権(せいけん)交代し、安倍(あべ)内かくのせいさくで、今年の夏から全19校のふつう教室でエアコンが使えることになりました。
注5 猛暑(もうしょ) 平常の気温と比べて明らかに暑いときのこと。最高気温が35℃以上の日を猛暑日という。
 

これからどんな仕事がしたいですか?

市長3市長として2期目に入りました。「子育て日本一」への原動力にもなる「市民活動日本一」もさらにおし進めなければならないと考えています。
大しんさいをけい験したこともありますが、地方の時代と言われる中で、自治体における、共助の力、地いき力を強めていくことは私に与えられた重大なつとめであると考えています。
本年は龍ケ崎が市になってから60年目をむかえる節目の年でもあります。
龍ケ崎市は歴史と伝とうの街で、当時人口も周辺から飛びぬけていました。
高度成長期以こうの常磐線(じょうばんせん)えん線のベッドタウン化の波もあり龍ケ崎も人口はふえましたが、いまでは龍ケ崎よりも人口の多いりんせつの自治体にはさまれているのがげんじょうです。
これまでの課題をたしかめ、いままでやろうとしても実げんできなかったゆめを、勇気をもって実げんするのか、それとも変えられないまま次の60年をすごすのか、今こそ決だん力を求められる大切な時期だと考えています。

いま小学校高学年のみんなへのメッセージをお願いします。

自分の仕事を選ぶことは大切なことです。
決して、わざわざ面どうな道を選ぶ必要はないと思いますが、よりこんなんと思える選たくが、結果的にゆめを実げんする近道であることはよくあることです。
だから、ちょう戦する心、チャレンジスピリッツ(注6)は大切だと思います。
ただ、あわてることはありません。
落ち着いて、いろんなことを勉強して、やってみる。体験してみることです。
その上で、最初から100%なんてものはありえませんので、大いになやんでください。
あせらず、なやんで、そして様々なちょう戦を通して、自分の進むべき道を選んでください。
注6 チャレンジスピリッツ 何にでも取り組む心意気

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