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馴馬の甚七

更新日:2018年3月1日

馴馬の甚七(じんしち)

馴馬町には、甚七という風変わりな男のお話があります。
酒を飲んだら一升は当たり前、鉄や銅のほか、下駄や土器まで食べてしまう、それでいて身軽な男。
当時その名は遠く知れ渡り、ちょっとした有名人だったようです。
文政5年(1822年)に著された書物『鹿島日記』にもその名が出てくる、ただ者ではない男のお話です。

女化神社の鳥居(とりい)

「キツネの恩返し」で有名な女化神社(おなばけじんじゃ)。
その鳥居を作るため、石を大八車に乗せて現在のつくば市から大勢の人で運んできました。
ところがその途中、大八車がぬかるみにはまって立ち往生。
そこで甚七が木遣り(きやり)を歌いながら扇子(せんす)であおぐと、車はたちまち動き出したそうです。
女化神社の鳥居には、今もうっすらと「寛政五年」(1793)の文字が確認できます。
この伝説は絵馬となり、同じ寛政五年の日付で、馴馬町の日枝神社に奉納されました。
鳥居になる石の向こう側で、ほんのり顔を赤く染めた男が日の丸の扇子を振る様子が描かれています。
甚七を目で確認できる唯一の史料です。

力比べと大石

貝原塚町の祇園祭(ぎおんまつり)の時です。若者たちが大きな石を担いで力比べをしていました。
そこに居合わせた甚七は、それをバカにしたように鼻で笑います。
甚七に気づいた一人の若者が、怒って甚七になぐりかかろうとしました。
すると甚七は大石をヒョイとつかみ、若者めがけて投げつけました!
驚いた若者は青くなって、一目散に逃げ出したそうです。

一夜で縄ない

昔の家はかやぶき屋根が多く、屋根の補修には大量の縄が必要でした。
甚七も夜に縄をなうのが仕事でしたが、さぼって毎晩遊びほうけ、ちっとも働きません。
ところが、明日には縄を使うという晩になると、思い出したように「よっこらしょ」と縄をない始めます。
その早いことと言ったら!
ふつうの人が何日もかかる量を、甚七は一夜で終わらせてしまったのでした。
力持ちなだけではなく、器用なことも驚異的だったようです。

下駄(げた)を食う

甚七の強さは、一升の酒を飲み干す肝臓や、大石を投げる腕だけではありません。歯も同じように超人的だったそうです。
ある日、一人の女が甚七をからかってやろうと思いつきました。
古い下駄を持ち出し「これを食べられたらお前さんの嫁になるよ。さぁ食べてご覧」と持ちかけたのです。
ところが、まさかこれは食べないだろうと思っていたのに、甚七はあっという間に下駄をばりばりとかみ砕いて食べてしまいました。
甚七は「さぁ、食べたぞ。俺の嫁さんになれ」と女を抱き寄せようとしましたが、女は恐れをなしてあわてて逃げてしまったといいます。
甚七はさぞがっかりしたに違いありません。

かんなくずでお灸(きゅう)

変わり者の甚七は、みんなの前でかんなくずを腹の上に載せ、火を付けてお灸のように燃やしたといいます。
とにかく強い甚七は、熱さにも強かったようです。
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