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町名の無い「龍ケ崎市○○○○番地」の住所表示について-大字・町名の誕生契機-

更新日:2018年3月1日

「龍ケ崎市」の「龍」の字と同じくらい問い合わせの多い、住所を表示する際に町名が無い「龍ケ崎市○○○○番地」という住所についてです。
市役所もそうですが、市役所周辺の旧龍ケ崎町の区域であった地区には、住所表示の際に大字(町名)がありません。
ですので、住所を正式に表示する場合は「龍ケ崎市3710番地」(=市役所の住所)のようになるわけです。
よくその地区の住所の表示について「町名がないので間違いではないのか」「直接番地がきているが間違いではないか」といった問い合わせがありますが、旧龍ケ崎町の区域であった地区は「龍ケ崎市」の後に直接「番地」がくるのが正式な住所表示となります。
それではなぜ大字(町名)がない住所表示が生まれたのか、ということについて今回と次回でその理由を探ってみたいと思います。
まず今回ですが、「大字(町名)が誕生する契機」という点から考えてみます。
話は明治時代までさかのぼります。
明治時代に市制・町村制が施行されて、各地に市町村ができたわけですが、その際に合併して成立した市町村には、江戸時代の旧村名を大字として表記した経過があります。
例えば、現在の大宮地区は、大宮村だったわけですが、大宮村は江戸時代の大徳村・宮渕村・佐沼村が合併して成立しています(ちなみに「大宮」の由来は「大徳」の「大」と「宮渕」の「宮」をとったそうです。)。
その際に、江戸時代からの村名を残すため大字として残した、つまり「大宮村大字大徳」といった住所の表示が誕生しました。
この方法は、現在でも合併する市町村が旧市町村名を大字(町名)として残す場合がありますし、歴史的な地名を失わないように現在でも一般的に使われる方法です。
この市制・町村制施行の際に、現在の龍ケ崎地区と川原代地区にあたる「龍ケ崎町」と「川原代村」は合併をせずに江戸時代の村であった区域が単独で成立したため、この2町村には大字が誕生しなかったようです。
ですので、龍ケ崎町と川原代村は、町村名の後に直接番地がくる方法で住所を表示しています(時代が下って昭和20年代の官報になりますが、龍ケ崎町と川原代村は町村名の後に直接番地がくる方法で住所を表示しています。)。
そして昭和29年の市制施行の際の合併に話は下ります。
そのときの地名変更の処分書(昭和29年第1回市議会臨時会の議案)を見てみます。

議案(市合併)


(注記)上記の資料中「倉」「倉町」となっているところは、「薄倉」「薄倉町」となると思われます。
この合併の際、川原代村以外の村は、すべて旧村の大字名に町を付けてそのまま大字としました。
大字のなかった川原代村は、その旧村名を残して町を付けて大字としました。
龍ケ崎町は、地名変更がありませんでした。つまり、龍ケ崎町を龍ケ崎市としただけで、このときも大字が誕生しなかったわけです。
このような例は、他市町村でもあったようで、「こんぴらさん」で有名な香川県の琴平町などに例が見られます。
ということから、「大字の誕生する契機」のなかった旧龍ケ崎町の区域は現在でも大字がないという状況となっています。
参考:「龍ケ崎市史」近現代編、「日本歴史地理用語辞典」

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