龍崎校木造扁額(へんがく)
龍崎学校扁額(へんがく)
種別
歴史資料
登録年月日
令和4年11月16日
所在地
龍ケ崎市歴史民俗資料館(龍ケ崎市馴馬町2488番地)
管理者
龍ケ崎市
概要
龍崎校の木造扁額は、かつては龍ケ崎小学校の旧木造校舎の正面玄関に掛けてあった。
この木造扁額は、左端に嘉彰親王書と彫られ、その左下の落款は上側が剥がれ落ちているものの、下側に二品親王(にほんしんのう)と皇族の階位が彫られている。
また、木造扁額の裏には、寄附連名として、龍ケ崎町、大徳村、八代村、泉村などの住人9名の名前と明治12年(1879年)卯5月18日と墨書されている。
それまで大統寺を仮教場としていたが、明治11年(1878年)10月13日に八坂神社裏に校舎を新築し、名称も龍ケ崎小学校となっていることから、これを記念して寄附されたものであると考えられる。
一方、龍崎学校の扁額は、右上端に「不若與衆」の関防印があるのみだが、この二つの扁額を見比べると、その書体は全く同じものであり、龍崎学校の扁額を基に龍崎校の木造扁額が彫られていることがわかる。
扁額の書をしたためた
その後、明治20年(1888年)、博愛社が日本赤十字社と改名すると、総裁として赤十字活動の発展に貢献している。
嘉彰親王の書による二つの扁額は、龍ケ崎地域の中心で教育の要を担った龍ケ崎小学校に関わる資料であり、龍ケ崎市の近代史における貴重な資料であると考えられる。現在は歴史民俗資料館に展示されている。

