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地名に示され土地に刻まれた災害の履歴

更新日:2018年3月1日

地名の多くは、地形などの土地の自然条件に基づいて名づけられ次第に呼び慣らされて、その場所の固有名称として定着したものです。
小貝川のような河川の平野は、洪水及び土砂の氾濫の繰り返しによりつくられてきたもので、それを示す地形や洪水の履歴などを表した地名が見られます。
最近まで氾濫原であったことを示す地名には川原(河原)、河内などがあり、この地域にも見られます。


小貝川に接する川原代町の地名は、平将門が合戦の際に川原に城(砦)を築いたことに由来するとされ、近年まで小貝川が流れていた川原であったことを示しています。
この川原代町(村)地先では、明治以降に4回の小貝川破堤が生じています。

図37.jpg
1986年に小貝川が石下にて破堤氾濫したと同じとき、阿武隈川で福島県下が広く氾濫し、河畔に新設されたばかりのハイテク工業団地も浸水して大きな被害が生じました。
この団地内とその隣接域には、大河原、大州河原、西河原、下河原、川久保などの地名が並び、最近まで阿武隈川が流れていた氾濫原であることを明瞭に示していました。
排水促進のために浸水域下流側の堤防が切り開かれましたが、ここの地名はまさしく水門町でした。


浸水しやすい平野中の凹地・低湿地を示す名称には、ヌマ(沼)、ムタ(牟田)、ニタ(仁多)、コガ(古閑)、カタ(潟)、ニイダ(新田)、クボ(窪)、ハチ(鉢)、ヤチ(谷地)などがあります。
古くからの集落が立地することの多い平野中の微高地(自然堤防など)を示す地名には、高須(州)、中洲などがあります。


山崩れ・地すべりは明瞭な地形変化をもたらすもので、これに関係する地名は多数あります。
山が崩れる現象を示す表現に、ぬける(抜ける)、くえる(崩える)、つえる(潰える)、はげる(剥げる)などがあり、それが起こったところは抜山、崩山などと名づけられています。
山が崩れた状態や崖地を示す表現には、ナギ、クラ、ホキ、ハケ、ザレ、ガラ、カケ、ダシなど非常にたくさんあります。


洪水がつくるのは主として堆積地形ですが、落堀(押堀)と呼ばれる凹地形もまたあります。
これは破堤氾濫流の激しい流入によって削られた凹地(堀)が池として残ったもので、かつてそこで破堤が生じたことを物語っています。
1981年の小貝川氾濫では長さ160m、深さ2mほどの細長い堀が出現しました(写真4)。
1947年の利根川破堤氾濫は非常に大規模であったので、延長1km、最大深さ7mという巨大な落堀がつくられました。
かつてはこのような落堀は大河川際に多数見られましたが、戦後の土地改良で埋められて、ほぼなくなっています。
写真4.jpg
図37の地図は明治10年代につくられた迅速測図とよばれる2万分の1の地形図です。
この当時小貝川は大きく東に屈曲して流れていましたが、この蛇行部において北に突き出したところの先に横幅200mほどの池があり、その横に水神祠の記載があります。
蛇行の突部破堤が生じやすいところであり、これは落堀であることは間違いないでしょう。
現在この池は半分くらいになって残っています(図37の右上写真)。
豊田町には700余年の歴史を持つ水神宮があります。
ここ豊田では最近200年間に6回も小貝川が決壊しており、これ以前にも頻繁に決壊が生じたと推測され、このことが水神を祀るようになった理由の一つになったのでしょう。


大きな落堀ができると、かつてはそれを回り込むようにして堤防や道路がつくられました。
長沖村の北(図37のA)にその例が見られます。
小貝川堤防のきわには落堀の名残りを思わせる凹地がいくつか見られます(図37の右下写真)。
破堤とは堤防が切れることで、それが起こった場所は切所などとよばれます。
利根町南部の利根川近くに切戸の地名があり、明治の地形図ではここに落堀を思わせる池があります。

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